遊戯王GXファイナル
2008/03/29/21:00:00(Sat)
終わってしまいました。放送日からタイムラグを置いてしまいましたが、最終回となれば語らないままにしておくわけにはいきません。セガのハード撤退と共にゲームも卒業かな、と考えていた自分をゲーマーでいさせたニンテンドーDS、そしてそのソフト群の中でもひときわ輝きを放った「遊戯王」のシリーズ。その初作「ナイトメアトラバドール」をプレイしたのが「GX」を視聴するきっかけでした。ゲームとしては無印でも物語としての遊戯王は「GX」が先です。なので私にとって遊戯王といえば「GX」。最初に見たのは万丈目vs明日香のラブデュエルの時でした。そもそも学園物であるという知識すら無かったため、デュエルで愛の告白をするというシチュエーションにまずびっくり。しかもそのデュエル後雪崩こむようにラスボス三幻魔とのデュエルへ移行したのにもビックリ。
確かに過去、子供の遊びが世界の命運を決するような闘いに発展したケースは枚挙にいとまがありませんが、幼年漫画系から離れていた身としては新鮮でした。ひとつのデュエルがゲームそのものの存在を揺るがす。そんなことがあるだなあ、と。このデュエル自体は「賢者の石サバティエル」という反則的なカードがあってこれが決め手になったんで、ネタ以上の価値はあんまり無いんですけどね。
本格的に見るようになったのは二期に入ってからです。もうこの頃には三沢はネタキャラとして確立していました(笑)。翔に「あれ? 三沢君いたの?」と言われてた頃です。彼が光の結社に単身乗り込み万丈目とデュエルしたあたりで完全にハマりました。あの回の衝撃は大きく、余韻は今でも残っています。三沢が作品のコントロールを離れた異様な人気を獲得したのもこの回ですね。
でもって最終回。三年半あまり……この手のオリジナルアニメとしてはかなり長い作品になりました。DVDを売らないといけない他のアニメと違いカードさえ売れれば多少視聴率が低くてもオッケーという恵まれた境遇がこのロングランを後押ししたのは確かです。でも「GX」に無印には無い良さがあったのも確か。無印は改めて見ると話が無駄に長いんだもんね。ジャンプの連載にヘタに追いつくわけにはいかなかったから、随分引き延ばされたんです。その制限が外れた「GX」ではデュエルのテンポが恐ろしく向上しました。1話か2話で大抵のデュエルは終わってしまいます。
そしてこのテンポこそが十代のキャリアを後押ししました。積み上げたデュエルの数では無印の主人公の遊戯を圧倒します。それでいながら三年半で負けたのはわずか3回。二期中盤にエースカード「エレメンタルヒーローネオス」を手に入れてからは最終回に至るまで無敗でした。とはいえこの常勝のロードも楽な道程ではなく、特に3期は辛いデュエルが続きました。十代のデュエルを愛する心と明るさに惹かれた私としては、責任を背負うことを知り大人になっていく十代の姿を見るのは少し辛いことですらありました。
最終回の相手は前作主人公武藤遊戯。卒業式後に突如として現れた遊戯とハネクリボーによって過去へ導かれた十代は、神のカードをデッキに揃えた遊戯との、本当の卒業デュエルに挑みます。確かに十代は成長し、大人になった。しかしそれでもなお忘れて欲しく無いものがある。やはりデュエルは楽しい。これは遊戯王なんで「デュエル」という言葉で置き換えられてはいますが、実質人生そのものと言えます。彼は名も無きファラオと召還されたオシリスの天空竜の前に初心を取り戻しました。勝敗は曖昧にされましたが、きっとこれで良いんだと思います。
十代はちょっと不思議な主人公でした。確かに一見すると明るくて前向きでデュエルの大好きな、幼年漫画にありがちな主人公です。でも彼は同時に孤高のデュエリストでもありました。友人や仲間はいても、どこか距離を置いている。おそらくコナミ的には二期でエドが語った「デュエリストは本来孤高なもの。信じるのは自分と、自分の組み上げたデッキのみ」という台詞を体現させているんだと思います。ありがちなおせっかいな面のまったく無いところが、冷たいとかドライとか指摘もされましたが、そこがまた十代の魅力でもあります。
次回作「遊戯王5Ds」もどうやらアニメ無印遊戯王>遊戯王GXの延長線上にある世界観の作品では有るらしいです。伝説のヒーローマスターとして登場する時を夢に見つつ、「GX」も幕引きとしましょう。漫画は続くけどね。三沢が出たら驚きだな(笑)。四期に出なかったのはそれはそれで伝説。三沢のネタ人気は異常過ぎる(苦笑)。
それは悪夢という名の何か
2007/07/08/10:45:26(Sun)
今回のエントリーを書くにあたり、いつもの「駄文」というカテゴリに入れるのは適当ではないということで新カテゴリ「魂」を新設しました。年に一度書くか書かないかというような、私にとって極めて重要な話題の時にのみ使います。まだアントニオ猪木が議員だった頃、彼がなんか問題を起こして(どんな話だったかは完璧に忘れました)糾弾された時に週刊プロレス……というか同誌編集長だったターザン山本は「それでも猪木を支持する」というような内容の文面で表紙を飾りました。これは自分たちはあんたのファンであって、それはこれまでもこれからも変らない。だから支持するという姿勢にも変わりはない、というようなことだったようです。それに対して猪木ファンでもある漫画家の小林よしのりは、それはおかしい。猪木だろうが誰だろうがダメなことはダメなんだから、しっかり反省して禊を済ませてから迎えるべきだと反論しています。一般論でいえば小林氏の方が正論でしょう。正義とは妄信にあらず。私もだいたい同感です。
それを踏まえてもなおクリス・ベノワに対しては……微妙なのです。どうも現地アメリカでベノワショックはWWEの屋台骨すら揺るがすような一大事件になっているようで、あちらのマスコミのベノワの扱いははっきりと殺人者であり、その原因はステロイドの過剰摂取にあるとしています。WWEは過去にも薬物疑惑で訴訟を起こされたことがあり、今回の件はそれ以上のショッキングな事件として非難を浴びているといった状況です。どうもWWE側の対応のまずさなどもあるようなのですが……。事が事だけにレスラー側も発言に気を使っている様子で、大抵がベノワのしたことは許されないが彼が自分にとってフレンドだったことは事実、としたコメントです。ミック・フォーリーあたりはやや角度の違った意見を述べたようですが、ほぼ腫れ物扱い……無理も無い話です。
今週号の週刊プロレスにおけるベノワの扱いも実に微妙でした。その多大な業績を讃えたい、でもそうすること自体が難しい。書きたいことが山ほどあるのに、それも出来ない。そんな感じです。特集されたページも過去の彼の思い出を具現化したものという苦しい言い訳がつけられていました。彼の死に対するレスラーのコメントも連載を持ち、ベノワとも親交の深かったTAJIRIのみ。おそらく来週のフナキもコラムで何か書くでしょうが、それ以外の公式なコメントは出されないものと思われます。ベノワは新日で長く活躍していたこともあってライガーなど言いたいことのあるレスラーも山ほどいるでしょうが、どうもそれも許されそうに無い状況です。これは辛い。
TAJIRIは泣きはらしつつ「人生とは恐ろしい。誰にでもこのような結末を迎える可能性があるんだと思うとなお一層恐ろしい」と書いています。鈴木健(野球選手とは関係無い)のコラムでも、これは悲しみや怒りを超えた恐怖、と書かれています。このコラム後半でのベノワに関する佐々木健介やカズ・ハヤシのエピソードはまったくもってどうでもいいことなのですが、前半部分のネットで起きた現象についての分析にはかなり見るべきものがありました。「ファンは動揺している。匿名性が高く何を書いても良いはずのネット上でも自分の気持ちをどう書けば良いのかわからずにいる。哀しささえストレートに表現することが憚られる。ベノワはそれだけ愛されるレスラーだった。この事実の受け止め方がわからない」。確かにそうだ。ベノワ事件についてはかなり早い段階から心中事件であると分かっていて、それでもどう言ったらいいのかわからない。そういう状況だった。誰かに嘘だと言って欲しいというような。問題はその後で、受け止め方がわからないというのに状況だけがそれに先行する。WWEもさすがに世間への手前というものがあり、ベノワの功績を事実上なかったことにせざるをえない。公式な記録から彼に関する記述が失われている。ファンの心の中にクリス・ベノワのアートともいうべきレスリングは熱く残っているにも関わらずである。コラムでもこの言いようの無い喪失感を刺して恐怖としている。この恐怖に多くのプロレスファンが怯えている。
ベノワに何が起きたのかはわからない。彼はどうやら遺書を残さなかったようなので、事の真相が明らかになる日は来ない確率が高い。まさに一寸先は闇……いや、これを闇というべきだろうか。ちょっと違うような気がする。状況から考えていえば地獄? いやこれも違う。この表現しにくいなにかは、あえていえば悪夢なのかもしれない。夢である。見ている間は鮮明に覚えているのに、起きた後はほとんど覚えていない。それなのに恐かったという気持ちだけが心の中にある、そんな感じだろうか。手に触れることの出来ない曖昧模糊とした恐さ。具体的じゃないからこそ恐い。人は誰しも悪夢と背中合わせにして生きていて、ほんのちょっと踏み外しただけで絶望的な状況へはまり込んでしまう。TAJIRIもそれを感じているのだと思う。
ではベノワはなぜ奈落へ落ちることになってしまったのか。運が悪かったのか。それじゃ本当に誰も回避出来ない。ゆえにベノワを非難したところで意味が無い。では彼のハートが弱かった……なんてことがあるはずがない。40才までプロレスラーを続けているという一点だけ考えてもそれはありえない。わからない。わからないから恐い。
私は非常にマヌケな原因で死にかけたことがあります。プールは使用しない時水面にシートを被せるのですが、その下に入り込んでしまったのです。息が続かないのにシートで覆われ水面から顔を出す事が出来ません。ムリにあげようとしても水とシートの間に空気が入り込む余地はなく、頭を上げた分だけ水面があるというアホな始末です。あの時はぞっとしました。もともと私が水泳を得意としていたから無事に脱出出来た(その実力を過信してたからやっちゃったとも言えるけど)ものの、そうで無ければ新聞に載ったかもしれません。その時の恐怖が身体に染み付いていて、時々それがふっと襲って来ます。それはもう恐いんです。そんなちょっとしたことでも人は死んでしまう。時間にすればほんの30秒程度でしょうか。もう10年以上前のそんなことが未だに恐い。背中合わせの悪夢は本当にもう、すぐそこに穴をあけて待ち受けています。
ベノワの死は世界中のプロレスファンの胸の言い知れないずっしりと重くて冷たい石の塊を植え付けてしまいました。本人にそんなつもりはなかったでしょうが、WWEは世界規模で展開している団体です。下手したら数十万、数百万。同じような恐さを感じている人がいます。クリス・ベノワ、あなたのこの世への置き土産はあまりに重過ぎる。
TAJIRiの言うように、真相究明の名を借りた言葉遊びなんかはどうでもいいんです。私も芸術家の人格と行為によって、生み出された優れたアートが否定されることは無いなんてことも考えましたが、それすらもどうでもいいのかもしれません。ただクリス・ベノワという人間が今後公式に評価されることは二度と無いんだと思うとひたすらに哀しい。評価したくても許されないのだからなおさら哀しい。もう誰も彼を救えない。なんとかしてくれよオーエン。なんとかしてくれよエディ。


