宮上日陽のオールレンジアウト

あれこれ徒然と語る日記ブログ

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Author:宮上日陽
毎日ペプシスペシャルを飲んでる摂取カロリーの気になるお年頃なヘタレ雑食ゲーマー。

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艦隊これくしょん劇場版

昨年十一月に「艦隊これくしょん劇場版」が公開されました。まず前提としてパッとしなかったブラウザゲーム業界に突然突風を吹き荒らした第二次世界大戦を潜り抜けた艦船をモチーフにしたゲーム「艦隊これくしょん」が最初にあり、その予想外のヒットによりテレビアニメかされ、その後すぐに後続の展開が発表されました。劇場版もそのひとつで、それ以外にテレビアニメ第二期の噂もあったはずですがそれが今どう動いているのかはわかっていません。重要なのは第一期のテレビアニメは大変な不評を買った、ということです。当時はそりゃもう酷い叩かれっぷりでした。その直接の続編となる劇場版ということで、ファンは相当な不安を持ってこの作品を待ち受けていたわけです。まあ、私自身はそのテレビアニメ版を見ていないので、そういった不安な流れに乗ってはいませんでしたが。
テレビアニメ版の何が失敗だったか、見てない私が分析してもしょうがないのですが、おそらくはファンの求めていたものをシナリオ、映像両面で提示出来なかったことにあったのだろうと思います。ブラウザゲームの方は止め絵の画像とスペックだけで、戦闘時も特にアクション要素はなく見ているのみ。なのでプレイヤーは実際にユニットである艦娘がどうやって敵と戦っているのか想像するしかありませんでした。果たして彼女たちは水上でどんな戦いを繰り広げているのか? これはアニメ化が発表された時からファンの期待の非常に大きなウェイトを占めていたはずです。が、これがかなりのハズレに終わってしまった。シナリオも微妙で、結局12話も使って何を表現したかったかまったくわからない。個人的にはシナリオは微妙というか、ストーリー的なつながりの無いオムニバス風味だったとしても、海戦シーンさえしっかり作り込んでいればここまで不評は出なかったんじゃないかと思いますが、どっちもダメなんじゃどうしようもない。
さて、劇場版は先日4DXでの公開も終わり、全国的にもほぼ上映終了となったようです。実は最近はアニメ映画の当たり年だったりして、大ヒット作に恵まれました。「ガールズアンドパンツァー」とか一昨年の十一月公開だというのに、まだどこかしらで上映してますからね。おかしいでしょ。それ以外にも「君の名は」「この世界の片隅で」「純黒の悪夢」など数多くのビッグヒットが存在します。それに比べたら些細なもんではありますが、テレビアニメ爆死作品の劇場版としてはかなり健闘した方ではないでしょうか。艦これよりも後に公開されて既に終了してる作品もありますしね。

で、私はこの作品を計四回も見てしまいました(笑)。もともとあまり映画館に足を運ぶ方ではないのに、同じ作品をこれほど何度も見てしまった。もちろんこれは面白かったからです。そうですね、点数をつけるとしたら90点あげてもよいくらいの内容でした。
なにが良かったのか? まず、ガルパン劇場版が二時間あったのに対しこちらは九十分しか尺がなく、必然として展開がとてもスピーディで無駄がありませんでした。逆にカットされた部分も相当あるんじゃないか、と想像も出来るわけなんですが、だれるよりはずっとマシです。欠けた部分があるなら後日ディレクターズカットとして見せてほしいですね。
そして海戦シーンが大幅に強化されて非常に迫力のある映像になっていたこと。ぶっちゃけた話シナリオがグダグダだったとしても、こちらがクリアされていたらファンとしてはそれなり満足出来たであろうと思います。冒頭の第八艦隊鳥海古鷹加古青葉衣笠天龍による夜戦から始まる戦闘シーンは、もうそれだけで私大満足!ってなもので、よくほんとこのメンバーでやってくれたなと思ったものです。人気の分散傾向の目立つ作品とはいえ、テレビアニメに出ていなかった鳥海古鷹加古をこれほど前面に押し出してくれるとは。特に加古は冒頭の遭遇戦だけでなく、後半の決戦の方でも主力部隊に配置されて、重巡でもっとも活躍した艦娘といって過言ではありません。重巡は他にも人気艦は多いし、加古が一番とか誰も予想せんわ(笑)。
分かりやすいシナリオと迫力の戦闘シーンの両方を手にいれた以上、劇場版はこの時点でもう成功です。後は描かれたシナリオに対する評価というか、考察にします。

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追悼・三沢光晴

 プロレスラーは究極的にはその生き様そのものがもう既にプロレスなのだという。それが誰の記憶にも残るような偉大なレスラーならなおさらで、このブログを始めて以来、もっともショッキングな出来事はクリス・ベノワの死だった。あれはもう本当になんと言って良いやらわからない、人間の魂そのものに訴えかけるような恐ろしい悲劇だった。今現在ベノワの記録はWWEにおいて無かったことになっている。これは対外的な配慮であって、ヴィンス・マクマホンのその真意は別の所にあるのだろう。ショープロレスの巨星ではあっても、クラシカルなレスリングを好む男である。レッスルマニアのベノワvsカートが彼の自信作であろうことは想像に難く無い。そんな、リスペクトと共にあるような男が最後に見せたのがアレである。その生き様をプロレス的というにはあまりに壮絶過ぎるが、それでもやはりプロレスなのだろう。今週号の週刊プロレスにWWEの輩出したスーパースターが特集されているが、ベノワはその中にあった。WWEも立場的にクレームをつけなければならないかもしれないが、編集部もそれを承知で載せたのだと思う。そういうこだわりもプロレスが生み出すものかもしれない。

 四天王・三沢光晴が死んでしまった。あまり思い出せないが、私もその勇姿を直接目の当たりにしたことがあるはずである。その興行は小橋がジョン・ロウリネイティスと組んでタッグ王座を奪取した試合の印象が強い。というよりも、コブラクラッチスープレックスの印象ばかりが強い。ちゃんと見ておけば良かったかもしれない。
 週刊プロレスの丸藤のコラムにこんな話があった。四天王を超えるのは大変だ。ここで言う四天王とは三沢、川田、田上、小橋のことで、それはもちろん今更な話である。世代でくくれば四天王だけでなく、三銃士も加える必要が有る。こちらは武藤、蝶野、橋本の三人だ。彼らは現代プロレス界においてあまりにも巨大な存在で、プロレスラーなら誰もが彼らを目標に追いつき追い越そうとした。そして実際に追いついた人物もいる。そのひとりが秋山準である。コラムには書かれていないが、他にいるとしたら健介、高山、それに鈴木みのるあたりだろうか。丸藤曰く、追いついたことはそれはそれでもちろん凄いことで、並大抵のことではない。しかし、大枠で見た時、彼らは追いついたことによって四天王+三銃士という世代の枠に吸収されてしまった感が強い。つまりこれまで四天王+三銃士と秋山や健介らの間に存在したラインが、彼らの後ろに移動した。丸藤はこれが恐ろしいという。今のままでは自分たちも同じように後ろにラインが移動するだけで終わりかねない。そして決して四天王たちの牙城を崩すことは出来ない。だからこそ四天王たちがまだプロレスラーとして動ける間に世代闘争を仕掛けなければならない。まだ身体が動くうちに。しかし橋本に続いて、三沢の身体ももう動かなくなってしまった。丸藤が三沢を超える術は失われてしまったかもしれない。危機感はあったろう。だが、それがこうして現実の物になるとは思っていなかったに違いない。
 ここ最近の三沢ははっきりと動きが悪くなっていたという。試合中も三沢に最後の攻撃を加えることになった斉藤のバックドロップを受ける前からもう変調があったらしい。従って斉藤のバックドロップはあくまでたまたま最後の技になってしまっただけで、三沢に蓄積していたダメージは既に甚大なものだった。たとえ13日の試合をクリアしていたとしても、リングに上がり続ける限り死の危険はあった。おそらく2009年を乗り越えることは出来なかっただろう。三沢にも自覚はあったと思われるが、社長にして現役のトップレスラーという立場がリングを降りることを許さなかったのだろう。ベノワのケースとは異なるが、これもまたレスラーの生き様だ。彼の生き様自体がプロレスそのものなのだ。これをあってはならない事故というありきたりな報道で済ませることこそ軽易なものである。
 とはいえ、三沢の死がプロレス業界へ与える衝撃は計り知れないものがあるに違いない。皮肉なものである。三沢は野球界でいえば野村克也と同じようなことを考えている人物だった。野球しか出来ない野球人であってはならない。プロレスラーもプロレス一辺倒であってはならない。団体のレスラーが引退後、どうやって家族を養えばいいのか、ということである。しかし三沢はレスラーそのものであり、レスラーとして命を落とした。確かにレスラーとしてはベテランだが、一個人の人生でいえばまだまだこれからという年齢なのに、だ。あるいは三沢の持つプロレスへの限りない憧憬がリングの上での死を演出してしまったのかもしれない。
 三沢の死によって三沢を超える術は絶えてしまったのだろうが、全プロレスラーはこの死を乗り越えなければならない。十年後、2009年が日本プロレス界最大の危機だった、と言われるようになる可能性は限りなく大きい。

遊戯王GXファイナル

 終わってしまいました。放送日からタイムラグを置いてしまいましたが、最終回となれば語らないままにしておくわけにはいきません。セガのハード撤退と共にゲームも卒業かな、と考えていた自分をゲーマーでいさせたニンテンドーDS、そしてそのソフト群の中でもひときわ輝きを放った「遊戯王」のシリーズ。その初作「ナイトメアトラバドール」をプレイしたのが「GX」を視聴するきっかけでした。ゲームとしては無印でも物語としての遊戯王は「GX」が先です。なので私にとって遊戯王といえば「GX」。
 最初に見たのは万丈目vs明日香のラブデュエルの時でした。そもそも学園物であるという知識すら無かったため、デュエルで愛の告白をするというシチュエーションにまずびっくり。しかもそのデュエル後雪崩こむようにラスボス三幻魔とのデュエルへ移行したのにもビックリ。
 確かに過去、子供の遊びが世界の命運を決するような闘いに発展したケースは枚挙にいとまがありませんが、幼年漫画系から離れていた身としては新鮮でした。ひとつのデュエルがゲームそのものの存在を揺るがす。そんなことがあるだなあ、と。このデュエル自体は「賢者の石サバティエル」という反則的なカードがあってこれが決め手になったんで、ネタ以上の価値はあんまり無いんですけどね。
 本格的に見るようになったのは二期に入ってからです。もうこの頃には三沢はネタキャラとして確立していました(笑)。翔に「あれ? 三沢君いたの?」と言われてた頃です。彼が光の結社に単身乗り込み万丈目とデュエルしたあたりで完全にハマりました。あの回の衝撃は大きく、余韻は今でも残っています。三沢が作品のコントロールを離れた異様な人気を獲得したのもこの回ですね。
 でもって最終回。三年半あまり……この手のオリジナルアニメとしてはかなり長い作品になりました。DVDを売らないといけない他のアニメと違いカードさえ売れれば多少視聴率が低くてもオッケーという恵まれた境遇がこのロングランを後押ししたのは確かです。でも「GX」に無印には無い良さがあったのも確か。無印は改めて見ると話が無駄に長いんだもんね。ジャンプの連載にヘタに追いつくわけにはいかなかったから、随分引き延ばされたんです。その制限が外れた「GX」ではデュエルのテンポが恐ろしく向上しました。1話か2話で大抵のデュエルは終わってしまいます。
 そしてこのテンポこそが十代のキャリアを後押ししました。積み上げたデュエルの数では無印の主人公の遊戯を圧倒します。それでいながら三年半で負けたのはわずか3回。二期中盤にエースカード「エレメンタルヒーローネオス」を手に入れてからは最終回に至るまで無敗でした。とはいえこの常勝のロードも楽な道程ではなく、特に3期は辛いデュエルが続きました。十代のデュエルを愛する心と明るさに惹かれた私としては、責任を背負うことを知り大人になっていく十代の姿を見るのは少し辛いことですらありました。
 最終回の相手は前作主人公武藤遊戯。卒業式後に突如として現れた遊戯とハネクリボーによって過去へ導かれた十代は、神のカードをデッキに揃えた遊戯との、本当の卒業デュエルに挑みます。確かに十代は成長し、大人になった。しかしそれでもなお忘れて欲しく無いものがある。やはりデュエルは楽しい。これは遊戯王なんで「デュエル」という言葉で置き換えられてはいますが、実質人生そのものと言えます。彼は名も無きファラオと召還されたオシリスの天空竜の前に初心を取り戻しました。勝敗は曖昧にされましたが、きっとこれで良いんだと思います。
 十代はちょっと不思議な主人公でした。確かに一見すると明るくて前向きでデュエルの大好きな、幼年漫画にありがちな主人公です。でも彼は同時に孤高のデュエリストでもありました。友人や仲間はいても、どこか距離を置いている。おそらくコナミ的には二期でエドが語った「デュエリストは本来孤高なもの。信じるのは自分と、自分の組み上げたデッキのみ」という台詞を体現させているんだと思います。ありがちなおせっかいな面のまったく無いところが、冷たいとかドライとか指摘もされましたが、そこがまた十代の魅力でもあります。
 次回作「遊戯王5Ds」もどうやらアニメ無印遊戯王>遊戯王GXの延長線上にある世界観の作品では有るらしいです。伝説のヒーローマスターとして登場する時を夢に見つつ、「GX」も幕引きとしましょう。漫画は続くけどね。三沢が出たら驚きだな(笑)。四期に出なかったのはそれはそれで伝説。三沢のネタ人気は異常過ぎる(苦笑)。

それは悪夢という名の何か

 今回のエントリーを書くにあたり、いつもの「駄文」というカテゴリに入れるのは適当ではないということで新カテゴリ「魂」を新設しました。年に一度書くか書かないかというような、私にとって極めて重要な話題の時にのみ使います。
 まだアントニオ猪木が議員だった頃、彼がなんか問題を起こして(どんな話だったかは完璧に忘れました)糾弾された時に週刊プロレス……というか同誌編集長だったターザン山本は「それでも猪木を支持する」というような内容の文面で表紙を飾りました。これは自分たちはあんたのファンであって、それはこれまでもこれからも変らない。だから支持するという姿勢にも変わりはない、というようなことだったようです。それに対して猪木ファンでもある漫画家の小林よしのりは、それはおかしい。猪木だろうが誰だろうがダメなことはダメなんだから、しっかり反省して禊を済ませてから迎えるべきだと反論しています。一般論でいえば小林氏の方が正論でしょう。正義とは妄信にあらず。私もだいたい同感です。
 それを踏まえてもなおクリス・ベノワに対しては……微妙なのです。どうも現地アメリカでベノワショックはWWEの屋台骨すら揺るがすような一大事件になっているようで、あちらのマスコミのベノワの扱いははっきりと殺人者であり、その原因はステロイドの過剰摂取にあるとしています。WWEは過去にも薬物疑惑で訴訟を起こされたことがあり、今回の件はそれ以上のショッキングな事件として非難を浴びているといった状況です。どうもWWE側の対応のまずさなどもあるようなのですが……。事が事だけにレスラー側も発言に気を使っている様子で、大抵がベノワのしたことは許されないが彼が自分にとってフレンドだったことは事実、としたコメントです。ミック・フォーリーあたりはやや角度の違った意見を述べたようですが、ほぼ腫れ物扱い……無理も無い話です。
 今週号の週刊プロレスにおけるベノワの扱いも実に微妙でした。その多大な業績を讃えたい、でもそうすること自体が難しい。書きたいことが山ほどあるのに、それも出来ない。そんな感じです。特集されたページも過去の彼の思い出を具現化したものという苦しい言い訳がつけられていました。彼の死に対するレスラーのコメントも連載を持ち、ベノワとも親交の深かったTAJIRIのみ。おそらく来週のフナキもコラムで何か書くでしょうが、それ以外の公式なコメントは出されないものと思われます。ベノワは新日で長く活躍していたこともあってライガーなど言いたいことのあるレスラーも山ほどいるでしょうが、どうもそれも許されそうに無い状況です。これは辛い。
 TAJIRIは泣きはらしつつ「人生とは恐ろしい。誰にでもこのような結末を迎える可能性があるんだと思うとなお一層恐ろしい」と書いています。鈴木健(野球選手とは関係無い)のコラムでも、これは悲しみや怒りを超えた恐怖、と書かれています。このコラム後半でのベノワに関する佐々木健介やカズ・ハヤシのエピソードはまったくもってどうでもいいことなのですが、前半部分のネットで起きた現象についての分析にはかなり見るべきものがありました。「ファンは動揺している。匿名性が高く何を書いても良いはずのネット上でも自分の気持ちをどう書けば良いのかわからずにいる。哀しささえストレートに表現することが憚られる。ベノワはそれだけ愛されるレスラーだった。この事実の受け止め方がわからない」。確かにそうだ。ベノワ事件についてはかなり早い段階から心中事件であると分かっていて、それでもどう言ったらいいのかわからない。そういう状況だった。誰かに嘘だと言って欲しいというような。問題はその後で、受け止め方がわからないというのに状況だけがそれに先行する。WWEもさすがに世間への手前というものがあり、ベノワの功績を事実上なかったことにせざるをえない。公式な記録から彼に関する記述が失われている。ファンの心の中にクリス・ベノワのアートともいうべきレスリングは熱く残っているにも関わらずである。コラムでもこの言いようの無い喪失感を刺して恐怖としている。この恐怖に多くのプロレスファンが怯えている。
 ベノワに何が起きたのかはわからない。彼はどうやら遺書を残さなかったようなので、事の真相が明らかになる日は来ない確率が高い。まさに一寸先は闇……いや、これを闇というべきだろうか。ちょっと違うような気がする。状況から考えていえば地獄? いやこれも違う。この表現しにくいなにかは、あえていえば悪夢なのかもしれない。夢である。見ている間は鮮明に覚えているのに、起きた後はほとんど覚えていない。それなのに恐かったという気持ちだけが心の中にある、そんな感じだろうか。手に触れることの出来ない曖昧模糊とした恐さ。具体的じゃないからこそ恐い。人は誰しも悪夢と背中合わせにして生きていて、ほんのちょっと踏み外しただけで絶望的な状況へはまり込んでしまう。TAJIRIもそれを感じているのだと思う。
 ではベノワはなぜ奈落へ落ちることになってしまったのか。運が悪かったのか。それじゃ本当に誰も回避出来ない。ゆえにベノワを非難したところで意味が無い。では彼のハートが弱かった……なんてことがあるはずがない。40才までプロレスラーを続けているという一点だけ考えてもそれはありえない。わからない。わからないから恐い。
 私は非常にマヌケな原因で死にかけたことがあります。プールは使用しない時水面にシートを被せるのですが、その下に入り込んでしまったのです。息が続かないのにシートで覆われ水面から顔を出す事が出来ません。ムリにあげようとしても水とシートの間に空気が入り込む余地はなく、頭を上げた分だけ水面があるというアホな始末です。あの時はぞっとしました。もともと私が水泳を得意としていたから無事に脱出出来た(その実力を過信してたからやっちゃったとも言えるけど)ものの、そうで無ければ新聞に載ったかもしれません。その時の恐怖が身体に染み付いていて、時々それがふっと襲って来ます。それはもう恐いんです。そんなちょっとしたことでも人は死んでしまう。時間にすればほんの30秒程度でしょうか。もう10年以上前のそんなことが未だに恐い。背中合わせの悪夢は本当にもう、すぐそこに穴をあけて待ち受けています。
 ベノワの死は世界中のプロレスファンの胸の言い知れないずっしりと重くて冷たい石の塊を植え付けてしまいました。本人にそんなつもりはなかったでしょうが、WWEは世界規模で展開している団体です。下手したら数十万、数百万。同じような恐さを感じている人がいます。クリス・ベノワ、あなたのこの世への置き土産はあまりに重過ぎる。
 TAJIRiの言うように、真相究明の名を借りた言葉遊びなんかはどうでもいいんです。私も芸術家の人格と行為によって、生み出された優れたアートが否定されることは無いなんてことも考えましたが、それすらもどうでもいいのかもしれません。ただクリス・ベノワという人間が今後公式に評価されることは二度と無いんだと思うとひたすらに哀しい。評価したくても許されないのだからなおさら哀しい。もう誰も彼を救えない。なんとかしてくれよオーエン。なんとかしてくれよエディ。
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